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代表者の経歴  ::  設立までの経緯〜現在

1994年8月マレーシアにて
昭和44年に高専を卒業。カメラ
メーカー「アサヒペンタックス」へ入社

 

 ケイトレーディングを平成10年(1998年)11月26日設立したが、久留米高専 卒業時には自分で会社を興すとは考えていなかった。 しかし結果として学生時代に培った技術と人間関係が今に生きていると思います。

 

 中学卒業後、高専入学前に友人の誘いで面白い人が居るからと久留米図書館に云ったのですが、その時にお会いした女性(内川さん)が最初に英語(英会話)に興味を持たせて頂いた方でした。

 アメリカ生まれの日本人で、図書館内の英語資料室の管理をされておられ、そこを訪問すると、無料でいつでも英会話をすることが出来ました。

 

 英語に興味を持った後は、色々なことをやりました。久留米高専でのESS(English Speaking Society) 部長、外国人講師との交流、米国人牧師の居る教会へ入り浸り、クリスチャンでもないのに英語で聖書を読み賛美歌を歌い色々な面から英会話を習いました。

 

 昭和44年に高専を卒業し、有名なカメラメーカーである“アサヒペンタックス”入社。英語には縁の無い生産技術部に配属。しかし楽しい東京生活でした。

 

1993年7月インドネシアにて
英語論文の提出後、正直なところまた不受理されたらどうしようと思っていました。

 

 親の病気を機に九州へ帰り仕事をしていた所、高専の恩師の勧めもあり、大阪の歯車工具メーカー“アヅミ”に入社。この頃から段々と英語や貿易に関わる仕事をするようになってきました。

 

 この頃、前述の恩師である相浦教授から呼ばれ、高専内研究室で1年間研究生活を送る。海外の会社を含めて8社から10名前後が集まって歯車用工具の研究。

この時期、相浦教授が国際学会(米国)に送った英語論文の内容が不明との事で不受理になり、返送されて来てどうしたものかと困っておられました。その挙句、時間が無いからと身近に居た私に翻訳しろとの指示がありました。学生の頃、英語をやっていた事と、論文の中身も多少分かるという事から、お鉢が回ってきたのでしょう。  

 10日間程しかない期限まで、数十ページの論文とにらめっこで、研究室に缶詰になり、何とか仕上げました。トイレ以外は女性の助手の方が何でもやってくれました。 食事をどうぞ、お茶をどうぞ、用紙、鉛筆、辞書・・・。

 

   徹夜もやりました。

 

 英語論文を提出した後、正直なところ、又意味不明で返送されたらどうしようと思っていましたが、1ヶ月ぐらい経った時だったと思いますが、米国学会の方からAccepted(受理)の一報が入りました。

 

 これをきっかけに論文の翻訳がいくつも入り、大阪の会社の重役に同行して初めて仕事で海外出張したりと今までの技術の仕事から、貿易の仕事へと移っていきました。

 

代表 権藤 一昭 講演会での様子
約40カ国、200回以上の海外出張で世界中を飛び廻る人生。

 

 

 その後、やはり相浦教授の紹介で九州の“筑水キャニコム”の貿易部長として勤め延べ20年間ほど海外での仕事をしてきました。

 

 これまでに、約40カ国を回り200回以上の海外出張で世界中を飛び廻りました。ヨーロッパを中心に、北米、オセアニア、東南アジア、中近東と回りましたが、ピーク時には毎月毎月海外を回っておりました。

 

 これらの経験を基に貿易会社を興したわけですが、会社を軌道に乗せるのに3年は掛かりました。

 

 今では、中近東を中心に10カ国前後のメーカーやディーラーと継続的に輸出入をしております。